ある資料の神を畏れるという語句の説明には〈神に嫌われたくない〉という表現が使われていましたが
今回のものみの塔では〈エホバに悲しまれたくない〉という表現になっています。
〈嫌われたくない〉という表現より〈悲しまれたくない〉という表現の方が
いやいやながらエホバに従うのではなく、エホバへの愛ゆえに行動するということが際立っているように感じました。
エホバを畏れるということとエホバへの愛が大きく関係しているということがこの表現からもより理解できました。
ある資料の神を畏れるという語句の説明には〈神に嫌われたくない〉という表現が使われていましたが
今回のものみの塔では〈エホバに悲しまれたくない〉という表現になっています。
〈嫌われたくない〉という表現より〈悲しまれたくない〉という表現の方が
いやいやながらエホバに従うのではなく、エホバへの愛ゆえに行動するということが際立っているように感じました。
エホバを畏れるということとエホバへの愛が大きく関係しているということがこの表現からもより理解できました。
2週にわたってエホバへの「おそれ」について学べた。
今回の記事で出てきた聖句を過去の聖書と比べると,「恐れ」が「畏れ」になっていたり,「garde」が「obéis」になっていたりと,前回の記事の2-5節でも学んだ通り以前よりも敬いや愛を動機とすることが強調されている。
それでこの2週で学んだ勇気を示すことや誘惑に対抗する時も,エホバへの愛や敬意を思い起こして,ポジティブな方向で畏れを抱けるようにしていきたい。
「コミュニケーションのスキルを磨く」を当てはめられると思いました✋
クリスチャン同士の間で兄弟姉妹の考えや感情を読み取るスキルはとても大切だと思うから🤔
格20:5「深い水...をくみ上げる」とある💧
・人によって心の考えがどの深さに留まってるかは様々だと思う。何メートルも下って水を汲むように深い場所にある気持ちを汲み取りたい。
・水は丁寧に運ばないと外にこぼれてしまう。読み取れた感情も大切に扱える人になりたい。🥺
身につけられると、接する人皆に示せると思った。
長期的には20代前半の長老..目指したい🔥
普段から、さらに仲間への愛を強めようと思う🫂🤝
いつも新鮮で謙遜な気持ちを忘れずに成長していきたいなっ🎶
他にも全然足りない点を見つけてしまったので頑張っていきます😅😅😅
ソーシャルメディアは直接連絡を取り合っている友達だけに限らず、特に今はいろんな人が自分の意見とか思想を自由に書き込める時代で私もそういうコメントとか情報をちょくちょく見たりするので、(Xとかtiktokとか)
そういうところからもエホバの考えより不特定多数の人の考えに納得してしまうことがないようにそれを見すぎないように気をつけたい。
・エホバに喜ばれていると確信できるのはどうしてですか。
(最後の質問)
聖書,試練,仲間,矯正などを通してエホバに喜んでいただいていることを確信できる。
エホバからの愛は1つではなく,これらのものが同時に与えられることもあるので,エホバからの喜びの証を受け取るための正しい姿勢を保つなら,より確信を強められる。
📒固い食物を取り入れて当てはめたいと思った。確かに、固い食べ物を食べるなら筋肉が発達して噛めるように成長する。よく噛むと味わいが増す様に、聖書の固い食物をよく噛み、当てはめる力を成長させたいと思った。
📖僕自身も成長途中だけど仲間が霊的成長する為にできる事があれば何でもして助けたい思った!
・エホバが僕達に「奉仕をいつも楽しんで!!喜べるように私が助けるから!!だからやってみて!」って言ってくれてる様に感じた ^ᴗ^
✏️奉仕を楽しむために5節のじっくり読む.学ぶ.考える.時間を増やしていきたい
📒聖書や出版物を調べた時「これはエホバに喜んで仕えるための力にどのように変えられるだろうか」とじっくり考えて心に蓄えたい
🤣みんなで奉仕を楽しもう!🎉
一連の挿絵からすると姉妹はポルトガル語圏で奉仕をしているように見受けられ,この挿絵ではものみの塔2020年No.2を用いている。
使っている資料は最初の挿絵と変わっていないが,ポルトガル語圏ではキリスト教が半数近くを占めているので,キリストが治める天の王国ということを伝えることで家の人への愛と柔軟さを表し,理解しやすいように証言しているのかもしれない。
・いかにエホバを皆で崇拝するのが喜びかがよく分かる!絶対に留まりたい!(キラキラ)
✏️仕事など世の時間の後、集会奉仕などで比喩的なパラダイスで過ごすと爽やかすぎるし、本当に2節の「避難所」「潤った庭園」の様に感じる🏞️🌳
📘 この環境を用意してくれたエホバ本当にありがとうございます!!😊
🤔もし、この世に惹かれ始めている人がいれば...絶対「皆でエホバを崇拝する喜び」を選んで欲しい。比喩的パラダイスに自分の居場所を感じれるようになってほしい。
2枚の画像を対比すると,独りで座っていた兄弟のみがパラダイスに居ないということがキャプションでもはっきり示されている。
その兄弟はパラダイスに行くことができなかったのか,あるいは右下の小熊になっちゃったのかは分からないが,パラダイスを生きるために,仲間と一緒にエホバに仕える大切さが分かる
このグループでも実感できる,仲間やその友情の素晴らしさに感謝しつつ,仲間と一緒に仕える機会を大切にしていきたいと思いました
記事の全体を通して、前よりももっと自信を持って野外に出かけたり、さまざまな場面で真理を伝えたいと思えるようになりました。最近、日本ではエホバの証人に対してネガティブな情報が出回っているし、前も野外でメディアの情報をよく見ている家の人に馬鹿にされ笑われたこともあって、野外でも家の人が出てきた時、「エホバの証人の~です」って自己紹介するのは自信がなかったです。けど、この記事から、エホバが私たちを愛してくれていて、「証人」って呼んでくれていることは嬉しいしもっと胸張って名前通りに行動していいんだよと呼びかけてくれている気がして、もっと自信を持てるようにしてくれた気がしました。エホバへの愛と、人々への愛を動機に、これからも熱心に伝道に取り組み続けたいです。
また、今の自分にぴったりな記事を用意してくれたエホバに感謝だなとも思いました。
「もうすぐ起きることについて人々に警告し続けるなら、将来私たちが伝えていたことを思い出すかもしれない」
前の記事に、エホバに仕えることをやめてしまった女性が心を入れ替え、両親と共に大患難から出てくる挿絵があった。表情や仕草からとても安心しているように見えた。
未信者の家族や親族、またその他の人に対して、こちら側が無理だと決めつけずに、いずれ真理に関心を示すかもしれないという気持ちを持って、接したり伝道することはとても大切だと感じた。
また、たとえ良い知らせに対してあまりいい反応がなかったとしても、それが決して無駄ではないということも分かるのでとてもポジティブな見方ができる。
勇気について教えているコリント第一16:13では,「信仰を持[ち]…勇敢に行動」すると書かれている。
ザドクの勇敢さは,ダビデとその導きの元であられるエホバへの信頼・信仰があったからこそ示せた。
✏️私たちも エホバに頼って勇気を出す上で,エホバからの指示や導きに沿った行動ができるよう,信仰も培う必要があると感じた。
(記事の本文,賛美の歌。愛 第4章 36-49頁)
最近は各会衆で皆さんの安全の為に見回りをしてくださる兄弟たちがいますがザドクと似ている点があると感じました。ザドクは戦士としてのスキルや経験はほとんどありませんでしたがイスラエルを守るために武具をみにつけ、戦う用意をしていました。それと同じように見回りをしてくださる兄弟たちも普段から戦ったりすることはないと思います。また比較的日本は安全な国ではありますが、私たちを守るため万が一のことを考えて見回りという大切な仕事をしてくださっている兄弟たちに感謝したいと思いました。
挿絵の描写から,10人の長を含め皆んなから雲の柱が見えていたことが分かる。
10人の長たちは神の印をはっきりと見ることができても人への恐れの方が強くなってしまった。
✏エホバを畏れるには,ただ教えを取り入れるのではなく,本文にもあるように,自分だったらどうするかというイメージを抱きながら,よく考える必要があることを学べた。
2024/12/07
験の姉妹は手紙を送って8年経て感謝をもらったとある。
手紙が心を動かし原動力になったので,その8年も頑張り続けられた。
更にその後も手紙を受け取った姉妹は,未信者の夫もバプテスマを受け,娘2人も開拓・補助開拓に励んでいるとあった。
💭時を経て,感謝を受けられるのも喜びだが,その時間の中で,親切が神の御業の1つの貢献に繋がるかもしれないということも,ひとつの祝福であり喜びだと分かった。
(塔88 2/1)
2025/01/25
一番左側の兄弟は文書係の奉仕をしている。
文書の兄弟は集会後もそうだが、集会ではない日に王国会館へ行き、私たちの見えないところで奉仕してくださっている。
私たちが聖書ものみの塔などの出版物を受け取ることができるのは、こうした兄弟たちの働きがあってこそだということを忘れず、
感謝を示したいと思った。
2025/02/16
⚫イエスが「自分の肉を食べ、血を飲む」と言ったことについて
たとえば、食べ物は口に入れてよく噛んで、飲み込むことで体の一部になり、エネルギーになる。同じように、イエスの教えや犠牲を自分のものとして消化して、人生の中で実践することが大切だということをイエスは教えたかったのかなと思った。
ユダヤ人たちの多くはイエスの意図を読み取れずに、その言葉を文字通りに受け取ってしまったのでドン引きして離れて行った。
このユダヤ人の反応からも、イエスの教えをただ表面的な言葉で受け取るのではなく、その本質をちゃんと理解して、自分のものとして実生活に生かすことができるような、よく噛んで消化できるような人になりたいとも思った。
2025/02/16
イエスは宣教活動をするだけでよかったのに、たくさんの人の怪我を治したり、食べ物を皆に分け与えたりして、多くの人が奇跡を、贖いを受け入れやすくしたので、イエスは優しい先生だなと思いました。
2025/05/04
怒りに対する考察 ローマ12:18-21
自分に怒りの感情が湧く時、相手はそれを覚えていない場合がある。ここから考えられることは2つあり、相手がそれを嫌がることと認識していないか、単に気づいていないかである。
もし、相手に明確な悪意があると確証がないのに自分が悪意によって動くなら今度は自分がエホバから裁かれる立場になることを考えなければならない。
※自身の体験より