ダビデは、不意に攻撃される危険が最も高い夜でも、過去の経験から,神の変わらぬ支えを信頼できるという絶対の確信を抱いていたので、恐れずに眠り、自分が目を覚ますと固く信じていました。その部分から、「エホバの道」にしっかり従って神から決して離れず、ダビデと同じ確信を抱きたいと思いました。
ダビデは、不意に攻撃される危険が最も高い夜でも、過去の経験から,神の変わらぬ支えを信頼できるという絶対の確信を抱いていたので、恐れずに眠り、自分が目を覚ますと固く信じていました。その部分から、「エホバの道」にしっかり従って神から決して離れず、ダビデと同じ確信を抱きたいと思いました。
カインは自分を制御出来なかったので、不平等に思えることがあった時アベルを殺してしまった。エホバに自分の思っていることを吐くなら全てを平和に収めることが出来る。
この言葉が書かれた当時,ダビデには敵がたくさんいたが,それでも平安な心でいることが出来ていた。
↪エホバからの平安を確信し忠実であり続けたい。
ダビデは自分が傷つけられた時、たくさんエホバに祈り自分の気持ちを打ち明けました。そのことから、僕もダビデのように自分の気持ちを素直に打ち明けれる信仰をエホバとの上に築いていき、エホバに近づいていけるよに、その信仰を表していきたいと思いました。
ダビデは一方私はというふうに
他の人達と自分を比べて私は謙遜にエホバに近づくので助けてほしいということを述べています。
エホバにたすけてもらうには自分から近づくことが大切で、エホバを信じていることを
はっきり示さなければならないことをしって
自分も、エホバにもっと近づけるように会衆の仕事
を積極的に行いたいと思った
エホバは私たちの祈りを聞いてくださらないと感じることがありますが、リサーチガイドにあるようにこの作者も私の祈りを受け入れてくださるとあるので何か自分に試練となることがあったり助けが必要になることがあったときに祈ることの大切さを学ぶことができました。
心の中の清さを保つことや心から忠誠を貫く決意をすることが大切だと書いてある。
体の奥深くにある行動や発言の元となっている考え方が間違っている時、周りから見えなくてもエホバの敵になりかねないということを覚えておきたい。
神の裁きの公正さについて書かれている。
この聖句に関して調べると,ある記事ではエステルの記述が例に出されている。
↪エホバがハマンに行ったように公正で力強い裁きをしてくださるということが分かる。
このことからエホバの公正さへの理解がより一層深められた。
ここではエホバが創造した色々なものについて書かれています。
ひとつひとつを観察するとエホバの知恵や愛が表れている事が分かります。
それで偉大な創造者が人間を楽しませたいと思って創造してくださったことにも感謝しながら賛美したいと思いました。
この聖句や参照聖句に挙げられているペテロ第一2:23からエホバの公正な裁きを委ねて行動することについて学べる。
それで,普段の生活で,エホバの公正な裁きを信頼したい。また,伝道においても,朝の崇拝の話でもあったようにエホバに委ね,穏やかに耳を傾けたいと思う。
虐げられている人たちの安全な避難所とあります。これからさまざまな苦難に遭うかもしれませんが、エホバに寄り頼るなら守ってもらえます。
2001年8月22日の目ざめよには慰めを引き出すための聖句としてこの聖句が挙げられている。
この記事には気持ちを集中させにくいなら他の誰かに慰めとなる聖句を読んでもらうことも提案されている。
それで伝道で会った人や仲間の中にネガティブな気持ちに襲われている人がいるなら,この聖句を読んで慰めることができる。
引照聖句のホセア12:8ではこれまでの人生で自分は完璧だったというイスラエル人の考えが書かれている。
利己的で貪欲な人は自分の願うことがいつも正しく、願った通りになると考えてしまうと分かる。
自分が不完全だということを認めて、エホバの望む生き方をしたい。
エホバの証人という名前だけで悪いイメージを持ったり、一方的にじめを受けたりということが最近多く、迫害はこれからもっと増えていきます。でもこの聖句には死にゆく人間を恐れなくてすむとあります。死んでいく人間とエホバどちらを本当におそれる必要があるかをよく考えて忍耐する力を得たいです。
言葉について,悪人の言葉は汚れており,エホバの言葉は清いと書かれています。悪人の言葉には嘘やお世辞,誇る舌などが含まれています。その部分から、悪人の使うような言葉では無く,エホバの精錬されたような言葉を使いたいと思いました。
組織を内部から破壊させようとするサタンの攻撃は人を欺く言葉によって行われるので、一致を強めていくためにも真実を話し、互いを強め合う必要がある。
エホバの言葉は7回純化された銀のように清いとある。
これはその清さが完全であることを表現しているが,完全なものだからこそ良い使い方をしなければ活用しきれない。
それで,聖書の理解を深めつつ,使い手として聖書に沿った生き方をできるようにしていきたい。
エホバに受け入れてもらえる人がどの様な人達かが書かれている。2-5節の様な人達はエホバの聖なる山に住める。
🤔例えば家を借りて住む際にも、大家さんが求める条件をクリアしている必要がある。家賃の支払える人か、綺麗に管理できる人かなどが求められる。
私達もエホバの天幕にとどまり聖なる山に住みたいと思う場合、エホバが求める条件をクリアする必要がある。
📒2-5節にある性質をどうすれば身につけて離さないようにできるか考えて、エホバの山に住めるように努力していこう。
損失をこうむるとしても約束をまもるとかかれています。
聖書に反する約束をしたことに気づいた場合でなければ,それを守ることを難しく感じても、自分の約束を果たすために最善を尽くすべきだとわかるので、普段の生活の中でしたどんな小さな約束や大きな約束も守っていきたいと思いました。
喜びが湧き上がるというのは心の中で1番良い状態なのではないかなと思いました。8節(私はエホバを絶えず自分の前に置く。神が右にいてくださるので,決して動揺することはない。)にあるようにエホバを身近に感じることができたら、そのような最高な心の状態でいれると思ったので、毎日の霊的な習慣を大切にして、ダビデのようにエホバとの絆を強めたいと思いました🌸
ダビデとエホバの絆の強さをとても感じる範囲でした🥹
ダビデがエホバに助けを懇願している。またこれまでに扱われた3章や5章でも同様にダビデのエホバへの助けを求める祈りが書かれていた。
それで私たちも助けが必要な時には何度も重ねてエホバに祈り続けることが大切だと分かった。
王国を第一にして、世の中の物質的な考えが自分の生き方に影響しないように注意したい。
りさーちがいどより
王国を第一にしたければ「揺るぎない愛」を示す必要がある。
何があっても揺れないということは一途ということなので、いつもエホバにお世話になっていることを忘れずにエホバの喜ぶことを行うように意識したい。
エホバがランプで私の闇を照らしてくださるとある。
この言葉は,サウルやその他の大変な敵から,エホバによって救われ打ち勝ったダビデの言ったことのため,説得力を感じました。
それで僕もエホバの道に従順であり,大変な状況でもエホバからの助けを信頼できるようにしたいと思いました。
以前のものみの塔には,この聖句が,慰めとなる聖句として挙げられていた。
それでこの聖句を用いて,気落ちしていたり,ネガティブな気持ちになっていたりする仲間を励ますことができると感じた。
イスラエルの律法では戦闘用の馬に安全がかかっているかのように馬を増やすことが禁止されていた。
エホバを知らない人は老後の為といいながらお金に安全がかかった生き方をしている。
でもエホバを知っている人として永遠に残るエホバとの良い関係を大切にしていきたい。
エホバに救いを求め,心から頼る態度が分かります。同じように,エホバへの信頼を強化してエホバに頼る態度を育てていきたいと思いました。
エホバは,苦しんで弱い立場にいる忠実な人の祈りを聞き,救い出してくださる方。
それで,このことをいつも思いに留め,エホバに仕える喜びや安心感を保って行けるようにしたい。
エホバを賛美する人、エホバに導きを求める人は今の生活も楽しむことが出来る。
自分の全てをエホバに捧げて人生を楽しみたい🫠
エホバはテキトーに海を作った訳ではなく、「しっかりと」据えた。
エホバの決める規則や原則も「しっかりと」考慮されて人間に提供されているので、従うようにしたい。
偽りの違いをしたことがなく欺く誓いをしたことがない人とあります。その部分から僕は嘘をついたことがないと自信を持って言える人になろうと思いました。
「好意を得ようとする」に関して脚注部分の直訳では,「顔を求める」とあり,これには好意的な配慮や助けを請うという意味がある。
ほかの節でもエホバに助けを求めることの大切さが分かる。
それで,大変な状況の中でもエホバを信頼して頼り続けたい。
「好意を得ようとする」に関して脚注部分の直訳では,「顔を求める」とあり,これには好意的な配慮や助けを請うという意味がある。
ほかの節でもエホバに助けを求めることの大切さが分かる。
それで,大変な状況の中でもエホバを信頼して頼り続けたい。
ダビデは聖書を読んで、エホバの存在を経験して、自然にエホバとの友情が強くなるようにしていた。
一生涯エホバに使えるという約束をしてバプテスマを受けたが、エホバとの関係が強くなるような日課を大切にしたい。
エホバあなたを呼び続けますとダビデは言っています。呼び続けただけではなくて自分からエホバの喜ばれることをしてだから助けてくださいとかいています。
それでエホバに助けを求めるだけでなくて自分の考えとか行動をエホバの基準にまず合わせることが必要だとまなべます。
聖なる装いとあります。そこは、輝かしい神聖さとも言えるようです。
そこで、神聖さについて調べました。神聖さは、エホバのためだけに用いる物や、エホバのために取り分けられているものと書かれています。
なので、エホバのために自分、心、時間などを取り分け、エホバに使えて行きたいと思いました。
この29編ではエホバの声を雷雨になぞらえています。
それは杉を砕き荒野を震えさせるほどのものです。
この表現からエホバがどれほどの力を持っておられるのか想像できないほど強い力を持っておられる神なのにちゃんと一人一人愛してくださっていることを考えるとエホバとの関係を優先して他の人にもエホバを知ってほしい思いました。
ダビデに倣い、
いつも私たちの事を助け、導いてくださるエホバに
歌や祈りを通して感謝を表し、賛美したいと思う。
✏️エホバは恵みを生涯保障してくれている。
📓普通、メーカー保証は3-5年程度しかない。
📕エホバは短い期限を設けず恵みを与え続けてくれる。本当に感謝できる。その恵みを受け続けたい。
1:24にあるように、ベストを尽くしてエホバを待とう。
迫害にあったり恐怖を感じたりすることが書かれている。
これらは私たちの多くも経験し得るが,14節にあるようにエホバを信頼し,迫害などにも耐えられる信仰を持てるようにしたい。
聖句の中には敵対者とか、参照聖句の42:10には殺意を抱いた敵があざけるために攻撃してくることが書いてある。
背教者や誘惑してくる人達の背後には、エホバの証人に対して敵対していたり、殺意を抱いているサタンがいることを忘れずに、まっすぐ歩けるようにエホバに頼りたい。
⭐️あなたに目を留めて助言を与える。
参照聖句 格言3:6(どんな道を行く時にも神のことを考えよ。)そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる。
エホバは自分のことを目に留めて出版物や兄弟姉妹からアドバイスを与えてくれます。そのもらったアドバイスを受け入れて当てはめるなら、より一層エホバは自分の歩む道をまっすぐにして整えてくれると思いました。それで、エホバが私のために整えてくれた道をそのまま歩んで、エホバに感謝しつつ自分にできるベストを尽くしていきたいなと思いました。
「理解力のない馬やラバのようになってはならない」とあります。ここでエホバはムチやクツワによって動くラバやロバのようではなく、理解に基づいて神に従う道を選ぶことを望んでおられることがわかるので、思考力や識別力を育て正しい道を選んでいきたいと思いました。
「エホバの決定」▶「意図」
エホバはずっと人間が幸せに生きることができるようになって欲しいと思ってきた。
参照されているイザヤ46:10には、エホバの決定が必ずその通りになるとある。
何年後にもこの希望が揺らがないように強い信仰を持ちたい。
エホバからの愛を確信して待つなら,エホバは揺るぎない愛を示し続けてくださる。
それで,その確信を強められるよう,聖書から,エホバの揺るぎない愛を示された事例などを更に学んでいきたい。
(塔研21 11月号 研究記事44)
ダビデはエホバが恐れから助け出してくださったと書いています。エホバが助けてくれたことを思い起こし、さらに友と共有することで仲間と共に信仰をより強化していきたいと思います。
百獣の王と呼ばれるライオンでも、飢えに苦しむ事がある。
同じようにいくら体が強い人でも、不完全さ故に問題に直面したり、試練を経験する事がある。だから自分の力ではなく、
全能の神エホバに導きや助けを求めこの道を歩んでいきたい。
エホバが心が傷ついた人のそばにいて救ってくださると書かれています。様々な問題で心が傷ついてしまうと、聖書を開く手も重くなってしまうかも知れません。
でも、聖書を読むなら本当にエホバがそばにいて力をくれることを実感できます。これからも自分の力に頼らずエホバに相談しようと思います。
苦難に遭うということをエホバが理解してくれていることはとても嬉しい。
格言24:16が参照されているが、このことから、正しい人とは苦難に遭わない人ではなく、遭っても立ち上がる人と分かった。
小盾と大盾を取り私を守るために立ち上がってくださいと書かれています。なんで小盾と大盾2つ使うのかな?と少し調べて見ました。小盾とは、盾の代用、仮の盾、間に合わせにかばい隠すものと辞書に書いてありました。大盾とは、体全身を守るものと書いてありました。
そこから考えるに、大盾により、大部分の心と体を守って下さり、小盾により、うしろなどの弱いところからの攻撃を、ピンポイントで守ってくれるのかなと思いました。
なのでエホバが立ち上がり、小盾と大盾により、守ってくださるということに進行を持ち、勇気を持ってエホバに仕えたいと思いました。
「私は大きな会衆の中であなたに感謝します。群衆の中であなたを賛美します」とあります。僕も,この聖句にあるように、仲間の兄弟姉妹たちとエホバを賛美し、エホバや仲間への感謝を深めていきたいと思いました。
📔会衆の中で感謝を示し、エホバを賛美できる事が分かる
💭もしかすると、今の会衆に自分の居場所があるのかな..自分の賛美なんて全然..と感じてる仲間がいるかもしれない
📕自分から仲間に気遣いを示したり、エホバとの絆が深まるように助け、会衆の全員が最高の居場所を見つけられるよう援助したい
脚注では「思い巡らす」とも訳されている。
この言葉のもととなっている“הָגָה”(ha・ghah)は,ヨシュアが律法の写しを作る際にエホバから述べられた「思い巡らす」とも同じ語。
それで,誰かに良い知らせを伝えるためにも,まずは自分で聖書の言葉を思い巡らして自分の中に取り入れていきたい。
(洞-2 <黙想,思い巡らす> )
「悪人には善を行うための洞察力がない。」とあります。この部分から、善いことを行うには洞察力が必要だということが分かるので、36編にあるような、悪人にならないよう洞察力を育てていきたいと思いました。
世の中の人を羨む気持ちは、世の中の人と接したり、眺めたりすることで育まれる。
だから、エホバを喜ばせる活動で忙しくして、エホバに仕えることから最大の喜びを得ることが出来るようにしたい。
「エホバの前で黙っていよ」
「希望を抱いてエホバを待つ」
怒ったり腹を立てたりせず,神エホバを辛抱強く待つ必要があることが学べる。
待っている間,辛抱し続けるため,エホバからの祝福や目標,希望に,常に目を向けていたい。
(集ワ16 6月号 3頁)
「悪人には善を行うための洞察力がない。」とあります。この部分から、善いことを行うには洞察力が必要だということが分かるので、36編にあるような、悪人にならないよう洞察力を育てていきたいと思いました。
罪を犯すと安らぎが無くなる
「私が呼んだ日,あなたは答えてくださった。」とあります。ここで、ダビデがエホバを待ったように、僕もエホバが必ず答えを与えてくださると確信できる信仰を育てたいと思いました。
音声を聞いた時に、この言葉を言っているダビデの様子が浮かんできました。本当に心からエホバに祈っている様子を想像しました。
心からエホバに打ち明けたり助けを求める時、それが表情によく出るだろうなと思いました。それほど感情がこもっていたのだろうなと思ったので、心から祈る点でダビデに倣いたいと思いました。
音声を聞いた時に、この言葉を言っているダビデの様子が浮かんできました。本当に心からエホバに祈っている様子を想像しました。
心からエホバに打ち明けたり助けを求める時、それが表情によく出るだろうなと思いました。それほど感情がこもっていたのだろうなと思ったので、心から祈る点でダビデに倣いたいと思いました。
エホバの前では人間が以下に小さいかということが分かる。
それで,エホバに祈る時,親しみを表しつつも,敬意を持って,慎み,謙虚さを示したい。
(塔85 6/1 31頁)
神への賛美をする姿は他の人から尊敬される。
他の人に優しく接することと、エホバに仕える上で妥協しないバランスをとるようにしたい。
ダビデは,エホバが自分のためにどんなことをしてくださっているかを思いめぐらし,ポジティブな見方を保っていた。
それでダビデに見倣って,自分が抱えている問題などではなく,エホバがしてくださることやポジティブな面に注目するようにしていきたい。
(塔研24 2月 26-27頁)
ダビデにとって,エホバが望んでおられることを行なうのは
つらい事ではなく喜びであり,心から出るものだった事が分かる。私もダビデのように
最善を尽くしてエホバに仕えていきたい。
前のプログラムからも学べるが,この聖句から直接集まってエホバを仲間と賛美することの大切さが分かる。
SPCを通して仲間と奉仕しエホバを賛美する喜びを味わえたが,そのことをエホバに感謝し,また,SPCの準備をして迎えてくださるホストの会衆の兄弟姉妹,SPC奉仕者を送り出すため支えてくださる地元の仲間たちに感謝を示したい。
(塔06 6/1 9頁4節 ; 塔87 12/1 20頁19節)
このレビ人は揺るぎない愛を示させていることを感謝し祈ったと思います
そしてその祈りをエホバも喜んでくださっていたと読みながらかんじました。
私もこのキャンペーンに参加させて頂いてエホバの揺るぎない愛、力を感じれています。
揺るぎない愛を惜しみなく示してくださるエホバや他の兄弟姉妹にも感謝を忘れずエホバに頼ってキャンペーン楽しみたいと思いました
詩編作者はエホバを大岩と読んでいます。イメージしやすいように世界一大きい岩は何かなと調べた時にオーストラリアにあるエアーズロックという高さ約350m、全長約3,400mのものすごい大きさの岩でした。これはこの王国会館から瀬戸北高校までの距離の大岩です。私たちはそれ以上に大きい存在の神と祈りによって会話することが出来るので私達もこの詩編作者のように大変なことがあった時も嬉しいことがあった時もエホバに祈ろうと思いました。
地元民しか分からないことがあるけど…ごめん
3回も同じフレーズが出てきます。
そこには絶望や心が乱されていると書かれています。そういったネガティブな気持ちになってしまっている時には、エホバを待てとあります。ひたすらエホバを待つの大会で学んだように、今自分に出来る最大限を行いながらエホバを待ち、賛美したいと思います。
コラの子孫は、どんなに嘲られても活動を辞めなかった。
でも15節には「恥ずかしかった」とあるので、多少ダメージを受けてただろう。そんな時にエホバに頼ることら大きな力になる事が分かる。
これからもダメージを受けてもエホバに頼ることができるように信仰を強化したい。
エホバはご自分のお名前について僕たちが心の中でどう思っているかをよくご存知です。それで、エホバが僕の心をご覧になったときに、エホバへの愛や感謝がいっぱい溢れていると見ていただけるようにエホバについてさらによく知ってエホバへの愛を深めたいと思いましたし、今参加させていただいているキャンペーン中も溢れ出るエホバの愛を力に勇気を持って色々な機会にエホバについて語って行きたいと思いました。
神はあなたを永遠に祝福した
とあります。
イエスは地上に来る前に祝福があると保証はありませんでしたが、祝福に目を留めるのではなく愛に動かされて行動しました。
私も純粋な愛の気持ちに動かされてエホバへの忠誠を保ち続けたいと思いました。
月曜のあさ、Jアラートが鳴ってびっくりしました。これから先、パニックになるような自然災害や患難があるとしても、「エホバを避難所としてどんなことがあっても恐れない」といった、詩編作者のような信仰をいま育てていきたいと思いました。
助けが夜明けになる→待つ時間が出来るかもしれない。
エジプト人から救われたイスラエル人も、夜明けまで逃げたあとエホバを信頼しないといけなかった。
直ぐに状況が変わらないとしても待ち続けたい。
ある統計によれば,日本では自衛隊や防衛などに関して関心がある人が8割。
それだけ多くの人が平和などについても興味があると考えられるので,この聖句から将来の平和についてのことを話すなら自然に話をできると思った。
(内閣府「自衛隊・防衛問題に関する定期世論調査」 ; トピ 記事95)
「右手は正しさに満ちている」
右手といえば、イザヤ41:10の正義の右手でしっかりと支えるという聖句(個人の感想)
以前、正面から自分に向き合って右手を掴むという説明をしているレッスンの場面のビデオがあった。
エホバが行うことは常に正しいので、エホバならしっかりと支えてくれると信じることが出来る。
10分の話でもあったように、
聖書を学んでエホバの組織について知識を深め、エホバとの絆を育んで行きたいと思う。
また、エホバの組織について
宣教を通してできる限り多くの人々に伝えていきたい。
ここでエホバを知らない人と知っている人を比較している。エホバを知らない人は希望も知らないから今の世だけを楽しめる富を得ようとしているが、エホバを知っている私たちは富にではなくエホバに頼ることで希望が得られることを知っている。なのでエホバとの関係をこれからも大事にしたい
苦難は誰にでも起こりますが、ときに人間だとどうしようもない問題に直面することもあります。どんなときでも全能の神がこのように助けると言って下さっているのはとても心強いなと思いました。ですがエホバに助けを求めるのも信仰が必要なので日々信仰を培い続けたいと思いました✨
仲間の「落ち度を明か」したり非難することは愛のないことであることが学べる。
それで,仲間を悪く言わないだけでなく,仲間への愛に突き動かされて,良いところに注目し続けるようにもしたい。
(塔06 6/1 9頁)
「私があなたと同じだとても思ったのか。」とエホバが言っておられます。エホバのお考えや基準は僕たちが考えついたものとは比べものにならないので、エホバについてのイメージを自分の基準や願望に合わせて形作らないよう,エホバについて,今よりもさらに詳しく知り学び続けていきたいと思いました。
最近の朝の崇拝の中で兄弟が、エホバは幾十億もの人の心の中から、「エホバに仕えたい、喜ばれたい」と願う人の心の中を見た時、どれほど嬉しく感じるか想像できますか」と言っていたのが印象に残った。エホバに喜ばれる考え方や性質を育てて、心からエホバに従っていきたいと感じた。
ここに書いている、ヒソプという植物は、らい病にかかった人を清める儀式に使われていた植物だそう。
それで、ダビデがヒソプで罪から清められることをエホバに祈った事は相応しい事だということが分かった。
僕も、悔い改めてエホバに許しを求めるなら、エホバが贖いの犠牲に基づいて必ず清くしてくださるという、ダビデのような信仰を持ちたいと思った。
重大な罪を犯した時、全焼の捧げ物つまり、何かしらの犠牲を払うことよりも、悔い改める気持ちが大切であり、その気持ちをエホバは退けたり見下したりされないと書かれています。
そこから重大な罪だとしても悔い改め、自分の全てを差し出して従うなら許してくださるという愛ある神であることを再認識出来ました。
人間は不完全で罪を犯してしまうこともある。
だけどエホバはそんな人間のことも愛してくださり、罪をひとつ犯したからもう愛さないではなく、
エホバのもとに戻れるよう助けの手を温かく差し伸べてくださる。
温かくて憐れみ深い神に仕えられていることに感謝したいと思った✨
ダビデはサウルによる祭司や家事に対する虐殺を経験した後にこの詩を書いているが,そのようなことをする邪悪な人々を神が滅ぼし尽くされるということに対する確信を抱いている。
ダビデのような確信を抱いているなら,信仰や辛抱を保てる。それで僕も,エホバの公正な裁きを信じるとともに,それを辛抱強く待ち続けたい。
(目03 6/22 13頁)
リサーチガイドには、
・貧困は要求されていない。
・貧しくても多くのものを手に入れたいと言う欲に取りつかれている人が金銭を愛する人
とあった。
お金とかかっこいいものが好きなので、気をつけないといけないとおもいました。
エホバはいないと言う人が愚かで腐敗した行いをする人とあります。僕はエホバがいると信じていますが、自分の振る舞いや生活の仕方がエホバを信じていない人達と同じにならないよう、いつもエホバを意識して生活したいと思いました。
ダビデは、「あなたのみ名によって救ってください」と言っています。
「エホバのみ名」に神秘的な力があるわけではありませんが,ここでダビデは,「エホバのみ名」という言葉を用いることによって,エホバがご自分の民を救う力があるということを認めています。僕もこの聖句のダビデのように,エホバは自分を救ってくださるという、強い信仰を持ちたいとおもいました。
ダビデはサウルから命を狙われていたとき,エホバへの確信をもとに,この聖句にあるようにしっかりとより頼んだ。
その結果実際に,ヨナタンからの励みやサウルの追跡の失敗などエホバからの確かな助けを得た。
それで僕もエホバからの助けを信頼し,頼り続けたい
(塔3 5/1 18頁 16節)
ジフの人達は2回もダビデの場所をサウルに伝えた。ダビデはこの出来事の間や前からサウルの部下などから何度も自分の居場所をバラされた。
「勝ち誇る」ようにエホバが助けてくれることを信じていた。これはダビデが思いついたことではなく、詩編59編を歌った時にも言っていた。
ずっと変わらない信頼をエホバに対して持っていたことが分かる。
将来なかなか自由が得られなくなっても勝ち誇って敵を見ることの出来るほどのエホバへの信頼を強めたい。
📓「話を聞く」とか「内容を聞く」ではなく「声を聞く」と表現されてるのは興味深い
📒エホバに祈る時、ただ内容や願いが届くだけでなく、私達の祈る声に表れる気持ちや口調も読み取ってくれると思うと感謝できる
✏️明るい祈りも、感謝の祈りも、訴える祈りも、声におもいっきり気持ちをのせて祈り、エホバに届けたいと感じた
邪悪な人が語る悪い言葉を「ヘビの毒」に、導きや強制を受け入れない様子を「耳をふさぐコブラ」のようとたとえられています。ここでは、邪悪な人が動物の中で最も利口な(創3:1) 蛇にたとえられているので、邪悪なひとが語る悪い言葉やこ行動にまどわされないようにしたいとおもいました。
オンラインライブラリーでは、胎児の脳は胎内と胎外で起きた出来事を記憶していると書いてありました。胎児の時から赤ちゃんを大切に育てる重要性を理解することができました。
この言葉は比喩の部分もあるが,オンラインライブラリーで調べると,実際に胎児の脳は胎内と胎外で起きた出来事を記憶していると書いてあり,胎児でも言動の学習ができるようにされているからこそ,この言葉が述べられたとも言える。
※以下の括弧内はコアな部分なので,読み飛ばしてもらっても大丈夫です💦(笑)
(オンラインライブラリーには,妊娠末期にある胎児は1,000億のニューロンを持つともある。記事には書かれていないので詳しい数値は分からないが,もしニューロンが140億とその他の神経細胞800-900億個で構成されているなら既に大人の脳と同じレベルまで到達しており,数百兆単位のシナプスを抱えるキャパが完成している。またそうであれば,2500TBの容量を持ち,胎児の脳の能動性は既にコンピューターが人間の脳に及ばないことを裏付けることもできる。参考にミツバチの脳を挙げると,その脳には7,000のニューロンしかないが,その数だけで巣作りから距離の計算,仲間とのコミュニケーションの信号受送信など全てを果たせる。)
エホバは『誕生した時から...うそをつく』キャパを持った脳を胎児に創造した。それで,脳科学的な観点でも,エホバが胎児を人間として作っておられることを踏まえ,胎児を始めとするエホバの愛を認識できる。
(目92 1/22 14-17頁 ; 脳の構成についてはDr. Akash, Sherpa より。)
カタツムリは暑すぎると殻の中で干上がる…
反射日光ですらカタツムリは無理らしい。立派な殻をお持ちなのに……
悪人は、人間から見たカタツムリみたいな感じでエホバからみれば無力であることを覚えておきたい。
エホバが愚かなこの世の歩みをあざ笑われるということが描写されています。これは,エホバがご自分の力と邪悪なものの小ささを知っているのであざ笑われます。
それでエホバがその力を備えて助けてくださることを確信し,世からの攻撃に対しても恐れない勇気を抱きたいと思ました。
(洞-2 1259頁)
「…助けに来てくださいます。…」
表現がとてもいいなと思いました。
助けに来てという表現は、近くまで来てくれる、そばにいてくれるというイメージをしました。
エホバに助けてと祈ると、エホバは私の近くまできて助けてくれると思うと、心からの安心感に包まれるなと思いました。
それで、ダビデの様なエホバが助けてくれるという強い確信を持つために、エホバがどんな風に助けてくれるかイメージをして祈っていきたいと思った。
ダビデはエホバのことを私の安全な避難所と言っています。
エホバは何からも守ってくれる避難所です。そしてダビデはエホバを信頼していました。それで私たちのではなく私の避難所と言っています。エホバと1対1で身近な存在になれることを考えるとエホバの愛に感動します。それを他の人にも伝えたい
矢をかわしながらにげられるように助けてくださいとあります。
矢の速度は大体200から230キロだそうで分厚いものでも貫くほどの威力があるそうです。
野球と比較してみると
大谷選手が、野球界の中でも球速が早く時速160キロでボールは1球ですがそれをプロでも急に来るとよけれないそうです。
そう考えるとたくさんの矢が一気に飛んでくると到底人間の力で避けるのは不可能
エホバのちからを信じていないとこのように言えない
本当にエホバ=力ということが分かる
関連聖句を見ると,エホバの右手は私たちが恐れや不安を感じる時に支え強くしてくださるとわかる。
それで僕もダビデのように,エホバに愛されて,大切だと思ってもらいエホバから強くしていただける人になれるよう,努力したい。
(関連聖句:イザ41:10)
ダビデの人生はたくさんの苦難や問題がありましたが、その全てにエホバが力を与え支えて来られたのでダビデは確信をこめて「エホバによって力を得る」と言っています。僕たちは、これから先必ず試練や苦難が待っていますが、エホバが支えて力をくださるので心強し、いつでもそう言える信仰を育てたいと思いました。
63編はアブサロムから逃げているときの歌。
1節では乾ききった土地で弱り果てたダビデの様子、2節では過去に聖所でエホバの力や栄光を目にした時のことを思い出している様子が書かれている。
つらいときに過去にエホバの持っている力を経験した様子を思い出せば忍耐することができる。
集会のひとつひとつのプログラムにはエホバの力や栄光が表現されているので聞き洩らさないように集中して学びたい。
集会のプログラムでも扱われる聖句ですが、詩編作者は一生涯エホバを賛美すると言っています。ぼくはまだ若いのでこの先の人生は長いですが、エホバに献身したものとしてダビデと同じように一生涯エホバを賛美したいという決意を新たに頑張りたいと思いました。
以前の訳では「わたしの魂はエホバに固くつく」とあった。洞察を見ると,魂は人そのものを表していると分かる。
それで自分そのもの,自分の考えや計画や心の深いところまでもエホバに固くついているかいつも確かめ,そうするときエホバが右手を掴んで支えて下さることを確信して,エホバとの関係を強化したい。
(参照資料付き聖書;洞察)
有害な噂話や嘘、人を傷つける言葉など、人をおとしいれる、自由のそうしつのため、誰も気づかないと言って罠をはっています。
ですが、神は見ていて仕掛けた罠は自分に返ってきて破滅するとありました。
なので、そういった話をされても、聞かず、鵜呑みにせず、自分の仕掛けた罠に自分でかかるまで忍耐したいと思います。
エホバは今までも、また今日もご自分の民に数え切れないほどの支えや導きを与えてくださっています。
それで、日々の祈りの中で感謝を伝えたり、霊的な活動に進んで取り組むことによって、エホバを賛美したいと思います。
エホバはつまずかないようにしてくれるとありました。脚注ではよろめかせないとあって,参照聖句の詩編121:3の足を滑らせないという言葉の脚注にも同じよろめかせないとありました。詩編121:3のリサーチガイドには「神はご自分の民の必要とするものに対して一瞬たりとも目を閉じたりはされないのです」。とあって嬉しかったです。
「製錬」ではなく、「精錬」。
製錬とは、金属を取り出す方法。
精錬とは、取り出した金属の純度を上げるもの。
エホバは人の良いところを元々知っていて、それをより純度の高い、価値のあるものにしてくれる。
以前の訳では、腰に圧迫を加えたとあります。この表現は、重い荷物を持上げる時に、腰は重要な働きをすることからエホバが試練を乗り越える(重荷を負う)のを助けてくださるということがわかります。それで僕も、色々な試練を乗り越えるための知恵や力をいただけるようエホバに頼ろうと思いました。
📕「神は親切を示し,祝福してくださる.笑顔を私たちに向けてくださる.」📕
・エホバが笑顔でこっちを向いてくれる🤗
・エホバの暖かい顔を想像すると穏やかになれる
✏️人の笑顔は自分が相手の後ろや横に居ては見る事ができず、正面から見て笑顔をはっきり見れる。
📓自分はエホバの正面から笑顔を見れているかじっくり考えたい。どうすればエホバを笑顔にできるか考えてチャレンジしていきたい。
「あなたは人々を公平に裁きます。」とあります。今の時代は差別などがあり、人では平等に裁くことはできません。ですが、エホバが将来楽園で全ての人を平等に裁く時がくるので、あと少し辛抱したいと思います。
68編の前半を見ると,エホバは確かに全ての人に必要なものなどを備えてくださるということが分かりますが,この節では意地を張る人は乾き切った土地に住まなければならないとある。
「意地を張る」という表現は,脚注によると,反抗的な態度を含むとも分かるので,反抗の精神を避け,謙遜さと霊的な柔軟性を保って,エホバに忠実な態度を示していきたい。
ダビデは不誠実な敵のことを髪の毛より多いという表現で表していました。人によって髪の量は変わりますがほんとに多くの敵がいたということがよく分かります。聖書中には比喩表現で砂の数などとんでもない数に例えることがありますが髪の毛を使って例えているのはダビデだけです。
ダビデはみんなが分かるように身近なものに例えているので、僕も話の割り当てなどでダビデのように誰でもわかりやすいような例えを使いたいと思いました。
集会でもイエスの熱意や熱心さについて学びますが、この熱心さについて資料には、「ちょうど日本語の「熱心」という語は,「熱」と「心」という漢字から成っており,心が燃えているかのようだ」と書かれていました。それで、自分の心が燃えているかのような情熱や熱意を込めて宣教に取り組みたいと思いました。
「助け出してくでさい」とあります。助け出してもらうには自分がエホバに近づく必要があります。エホバに近づくには祈りや聖書通読したり集会に参加したり奉仕することによって,エホバへの確信がつくのでこの4つを意識して生活していきたいです。
この聖句を引用したパウロによると、食卓や繁栄がイスラエル人の間違った考えに関わっていた。
自分がアブラハムの子孫であると言うだけの理由でエホバに選ばれた人だと錯覚していたらしい。
自分個人がエホバに受け入れられる人なのかどうかよく考えたい。
「彼らの...腰が絶えず震え[る]」
この表現は,人間の腰に備わる強い筋肉に力が加えられず,大きな力が全く得られないことを意味している。
この聖句が指す,この世の王や王権の「腰が絶えず震え[る]」その時,私たちはエホバの元で立っていられるよう,絶えず腰に真理のベルトを巻いていたい。
(塔67 9/15 腰ということばの比喩的な用法。エレ1:17キャプション。エフ6:14)
エホバは貧しい人達の祈りを聞いてくださると述べている。
今は違う表現だが以前の訳では
「聞く」という漢字が、
耳部の聴くという漢字で表されている。
小学生の時先生から、
聴くという漢字は
「耳と目と心で十分、きく」
と書いて聴くと読む
と教えられたのを覚えている。
エホバは私たちの祈りを辛抱強くよく聞いて下さり、苦難を十分に理解してくださる事が分かる。
エホバが、優しさや憐れみに
富んだ方だということを、
改めて実感する事ができた。
エホバは貧しい人たちの言葉を聞いているとある
エホバは貧しい裕福といった差で差別をすることは絶対になくて必要な助けを与えてくださる
それで私たちもこの人は聞きそうにないなど見た目とかこれまでの反応で判断するのではなくてどんな人にでもエホバについてしらせることによってエホバの愛を見習えると思うので奉仕に積極的に参加したい
注釈をみると「をかがみ込んで聞き」と書いてある。
かがみこむというのは、その人の目線にたって話をじっくり聞いている様子をイメージします。
エホバはその様に優しく聴いて下さっていることに感謝出来ます。
それにこれは祈りのなかで語られた言葉です。
祈りに正解は無いですが、エホバとその人の絆の深さが表れる。
それでダビデはこの言葉が自然とでてくるほどよく黙想したい事がわかります。
ダビデの様に知識だけでなく心で理解できるようによく黙想したいとおもいました。
みはる姉妹のコメントを読み,列王第二20:5の表現から考えてみました。(関連聖句ではないです)
その聖句でエホバは「(ヒゼキヤの)涙を見た」と述べているが,うつむいて泣く姿から涙を見るには,71:2でダビデが述べたように「かがみ込んで聞く」,その人の目線にたって話をじっくり聞く必要がある。
つまり,エホバはすぐ近くで祈りの内容だけでなく,その様子に注意を払ってくれる。
ダビデもエホバが自分を傍で見て寄り添ってくださるイメージまでしていたかもしれない。
✏️エホバは,私たちが喜ぶ時も,泣く時も,懇願する時も,感謝する時も,どんな時でもヒゼキヤにしたように注意を払って寄り添ってくださいます。
そのことに感謝したいです。
また,エホバのその「かがみ込んで聞」いてくださる姿に倣って,僕も助けを必要とする仲間を励ますとき,まずその話にじっくり耳を傾けるようにしたいと思いました。
「私は若い時からあなたを信頼してきました」ダビデは,若い頃にエホバを信頼してゴリアテやライオン,クマを打ち倒しました。このエホバへの信頼が確信に変わりました。なので僕もダビデのように生活の中でエホバの信頼を僕自身が感じて確信に変えていきたいです。
ダビデは、(私は若い時からあなたを信頼していました)や(生まれた時からあなたに頼ってきました)、(絶えずあなたを賛美します)といった表現をしています。ここで、ダビデが幼い時からエホバはずっといてくれて、聖句全体からも分かりますがダビデはエホバを本当に信頼しているんだなと感じました。私もダビデに習ってこれからもどんな大変なことがあってもエホバに忠実であって、これから先、ますますエホバとの信頼関係を強めていきたいと思いました。
資料には、「高齢の兄弟姉妹に対するエホバの支えは会衆の仲間から与えられることもある」とありました。それで、エホバが兄弟姉妹を支えたいと思われる時に、僕も用いていただけるよう、兄弟姉妹の必要に敏感に反応できるようにしていたいと思いました。
ダビデは、難しい状況でエホバが行動するまで待つときに、「あなたをこれまで以上に賛美する」と言った。
問題のことで頭がいっぱいのなるのではなく、
伝道や歌などエホバを賛美する機会を大切にしたことが分かる。大変な時でも、生活の中でよりエホバを賛美する機会を大事にして、喜びながらエホバを待てるようにしたい。
今まで以上に自分はエホバを賛美することが出来ているかどうかよく考えるようにしたい。
ダビデは高齢になったとしても「私に語らせてください。あなたの力について次の世代に,
あなたの力強さについて生まれてくる人全てに。」と言っています。
ここから、これほどの熱意を今から持って生涯やり遂げたいなと思わされました。
アサフはダビデ王の時代の楽士で、聖書に歌が載るほど信仰の点で模範となる人物だった。そんな人でも、成功しているように見える悪人を羨んで道から逸れそうになることがあった。若い人は友達や学校など影響を受けるものが多いので、なおのことエホバとの関係を強める必要がある。
アサフは私の足はもう少しでそれる所だった、危うく滑るところだった。と書いています。
その滑るというのは資料できついマラソンで、道が凍っているようなものと例えられています。
つまり、疲れている所にサタンからの攻撃があるということになります。
なので、命の道を走り続ける時、疲れていたとしても、エホバを頼り滑らないようにしていきたいと思います
アサフは疑念を抱いたが,エホバに助けを求めて正しい味方を保ったことが分かる。
✏️今日,国家主義的な思想や,人を頼り崇める風潮が強くなっているが,最初のプログラムでも扱われるように何か疑念が浮かんだり助けを求める時,真の救い主はエホバであることを忘れず,いつでもエホバに頼るようにしていきたい。
(塔76 1/1 3-8頁 20,21節)
アサフは、祈っても力が出ないと感じることがあった。そんな時に過去にエホバがどんな風に自分を助けてくれたか思い出すことによって力を得た。
エホバに今一生懸命仕えることは将来の自分を助けることにも繋がるので、エホバからの助けを進んで受け入れるようにしたい。
戦士は誰の役にも立たないや、叱責で、兵車を駆る人も馬も眠りにつくとあります。
ここで眠りというのは死と同じ意味で使われています。
またここの関連聖句には、アッシリアが攻めてきた時に1夜にして打ち倒された記述が乗せられていました。
つまり、エホバの力、威厳の前にはどんな力であっても無意味だと分かるので本当に勇気づけられます。
「思い出す」とか「思い巡らす」とか「じっくり考える」僕たちに記憶力をプレゼントしてくれています。エホバが、与えてくれた記憶力を活かしてエホバが、助けてくれたことや力を与えてくれた事を思い出して、エホバに、感謝したいと思いました。
詩編作者がこの聖句で述べたように,私たちもエホバの力強さや行ったことを思い巡らすことができるが,こうしたことは聖書を読むことでこそじっくり考えられる。
✏️エホバが聖書を通して知識や信頼できる証をくださっていることに感謝したい。
また,より黙想をして,エホバについて知識を深めていきたい。
(塔01 6/1 9)
78編に記された,創世記からサムエル第一までの35以上の出来事。これらは詳細に書かれていて,もとの記述とも全くリンクしているため,歴史的な正確さの証拠であると言える。
✏️それでその正確さによる信ぴょう性から,より信仰を強めることができると思った。
(感 338頁 4節)
イエスに関するこの預言が、イエスの生涯にかけて成就したことを考えると、これから先も一言も果たされない預言は全くないと断言することが出来る。
この聖句で少しずれるかもしれませんけど,
イスラエル人は当初エホバを信頼しました
しかし後半になってきてエホバを信頼しなくなりました
そしてエホバもイスラエス人から離れました
その結果,大勢のイスラエル人が犠牲になりました
それで,エホバからずっと離れず,
何があってもエホバを信頼し続けようと思いました
子供にも教えた子孫たちは神を信頼し神のおきてを守った。
その一方で8、11節には神の素晴らしい偉業を見た父祖たちは神に忠実ではなかった、と記述されている。
大切なのはただ神の存在を知ることではなく、
神の教えや行ったことについて学び,人に伝えることで信仰を強めていくこと。
聖書を読んで学ぶことと伝道することに励みたいと思いました。
父祖たちのところでモーセの時代が出てきます
その時代の人達は海が分かれるのも雲によってエホバに導かれているのもめでみていて知っていたそれでも手に入らない食事を欲しがりました。
それで、目で見ていても欲望に流されやすいのでエホバに強い信仰を持つことが今とても大切だとわかる
神の素晴らしい偉業に信仰を持たなかったとあります。
この節の前にたくさんのエホバからの祝福が目に見える形で与えられていました。
でも、信仰を持ちませんでした。
なので、エホバの祝福を当たり前のものにしてしまったり、小さな祝福に気づかないことのないようにいつも注意を払い感謝していきたいと思います。
エホバは何度もご自分に不敬な態度をとっていたイスラエル人を何度も許された。
その場で全員滅ぼす事も出来たが、そうはされなかった。
エホバの揺るぎない愛を感じ取ることが出来る。
私もエホバに倣い、誰かから不快な事をされても揺るぎない愛を示し、
惜しみなく許す心を築いて行きたいと思った。
イスラエル人は、何度も「エホバを試し、悲しませた」とあります。それでこの聖句から、エホバにも感情があり、エホバの憎むことをして悲しませたくないとか、エホバの喜ぶことをしたいというふうに励まされました。
「繰り返し神を試し,イスラエルの聖なる方を悲しませた。」とあります。僕が、エホバが嫌う事をするとエホバは,がっかりします。なので,僕はイスラエル人のようにエホバが悲しむような事をするのではなく,エホバが喜ぶ事を行おうと思いました。
「尽くす」の語には「揺るぎなく支持する」や「離れない」という脚注がありました。
自分ではなくエホバに尽くす約束をした僕には、
どんなことがあっても揺らぐことなく永遠にエホバから離れないことが求められていることが改めて分かった。
エホバに私たちが回復できるように笑顔を私たちに向け,救ってください。と言っています。この笑顔を私たちに向けてくださいというフレーズがすごくいいなと思って。笑顔が嫌いな人は誰もいません。ましてやエホバの笑顔は桁違いにパワーを貰えるはずです。私達も祈りの中で自分や試練にあっている仲間のために祈る際、このフレーズを使って救いを求めたいと思いました。
イスラエルが従わなかったことがすごく悲しかったんだなと思いました。
それでも人間を信じて、裏切られて、エホバは悲しみでいっぱいだろうなと思いました。だから自分の元に帰ってきてくれたらすごく嬉しいんだろうなって思いました。
イスラエル人はエホバが生きている神だという証拠を毎日色んな形で見ていたにもかかわらずそれを心から信じることは出来なかった。
今エホバが生きているという証拠は沢山あるが、理解出来ていてもそれに伴った行動ができるかは別。
自分がエホバの存在を信じているかどうか再確認したい。
エホバは「言うことを聞きさえすれば」といって、民を救いたいとおもっていることを示した
進んで従うことによってエホバに守ってもらいたい
エホバに従うなら、エホバは最良のもので、私たちを祝福してくださると言うことが書かれています。
でも、祝福の為にエホバに従う訳ではなく、自分の意思で従いたいから従うようにしたいと思います。
沈黙しないでください、無言でいないでくださいと、あります。
リサーチガイドに載せられている資料を見るとどのように心を注ぎ出しているか見てくださいとあります。
この祈りのように、心を注ぎ出す祈りをしたいと思います。
この聖句では,アサフがエホバの名を賛美し,人々が知ることを願い求めている。
✏️私たちもアサフが記したのと同じように人々がエホバのことを知るよう願って伝道しているが,まず第一にエホバへの賛美の気持ちや,唯一の至高者であることへの信仰を強めていきたい。
(セクション11 14頁)
エホバに仕えているから、あるいはエホバの保護があるからと言って問題に全く合わない訳ではなく、ある程度自分のエホバへの愛で行動しないと行けない時がある。
自分の献身の温度が下がらないようにしたいと思う。
・エホバの家にいる心地良さ、エホバから力を得て幸せをGETしたい気持ちが強まる
🔍方位磁石の針は必ず北へ向くので進むべき道が分かる。自分の心も必ずエホバの家へ向くようにしたい。🧭
📖エホバに惹かれる心の磁石が狂ってしまわないように結びつきを強め、メンテナンスをしていきたい
あなたから力を得る人は幸せです。
普通人から助けてもらう時はなにか対価を払う必要があります。
ですがエホバはご自分に頼る人を喜び、幸せにしてくださいます。
寛大で愛あるエホバに感謝してどんどんエホバに頼りたいと思います。
「その人は歩くにつれて力を得」ると書かれていることから、エホバは、私たちがエホバの基準に従い、エホバに頼って行動すればするほど、さらに前進する力を与えてくださることが分かります。
難しい状況に直面しても、道を決して逸れることなく、エホバを信頼しお仕えし続けるならエホバ
が必ず力を与えてくださるという確信を強めることができました。
成長していくと少しずつ色々なことを任せて頂けるようになるかもしれない。
最初はエホバに心から頼るかもしれないけど慣れていくうちに自分の経験などに頼るかもしれない。
それはエホバに喜ばれないことなのでいつもエホバに祈って頼る、聖書を読んで鏡で自分の姿をチェックするように内面をチェックし、エホバに頼る幸せな人でいたいと思いました
エホバは,「怒りを抑え,捨て去った」とあります。ただ許すのではなく,エホバが,怒りを捨て去り快く許してくださるということに,感謝できるし、僕もエホバのように怒りを捨て去れるように見習いたいと思いました。
揺るぎない愛と真実が出会う。正しさと平和が口づけし合う
とあります。
ここの表現がいいなと思いました。
また、口付けは愛情表現であるように、人々に明らかにするという意味で使われています。
愛と真実が出会ってそれによって、正しさと平和が全ての人に明らかにされるという未来が実現して欲しいなと思いました。
神の下での平和と正しさが,正しさと平和の口付け,正しさが見下ろす,正しさが神の前を行く,など擬人法で表現されている。
これらの表現から,正しさや平和について具体的に思いめぐらすことができる。
✏それでこの詩編作者に見倣い,エホバやその特質を考える時,エホバご自身だけでなく,示される霊の様子や生み出されるものまではっきりと鮮明なイメージを抱けるようにしたい。
今まで神が通った道に正しさがついてくるものだと思っていました。
でも神は自分の行いを押し付けたり、自分の都合のいいように正しさを曲げたりするのではなくて、自分の行いによって正しさを示してくれていることを感じました。
神が正しいことを自分の言葉や行動を記した聖書によっていつも教えてくれるので安心して神に従うことができます。
ここの脚注には、「かがみ込んで聞き」とあります。これは詩編作者が書いた言葉ですが、エホバならこのように聞いてくださるんだろうなと感じました。
悩み事があったとき自分と目線を合わせてくださり、背中をさすりながら話を聞いてくれるエホバが想像できました。
そんな暖かいエホバにこれからも全面的に頼っていきたいなと思いました。
この聖句から本当の喜びを得るためにエホバに目を向けたことがわかる。
ついつい人間の見方で自分や他の人を人間の見方で見てしまうけど
エホバに目を向けることが大切と分かるのでいつもエホバに目を向け続け喜びを得たいと思った。
エホバはご自分に呼びかける人全てに揺るぎない愛を豊かに示してくださると書いている。また間違いを快く許してくださるとも書いてある。快いという言葉には好意的や嫌な顔ひとつしないという意味があるそうですので私もエホバのように誰かに嫌な思いをされたりしても神エホバのように快く許し、そうできるようにエホバに祈りで呼び掛けて愛を求めたいと思いました。
「あなたは答えてくださいます」
とあります。ここから詩編作者は、エホバへの信頼がとても強かった事が読み取れます。
私たちは不完全であり、サタンが支配する世の中で生きているので、誰しもが大きな問題に直面したりします。
ですから、ダビデのように
エホバに何度も祈り、真理を実践し、エホバとの関係や信頼を深めて行きたいと思いました。
リサーチガイドにでてくるものみのとうのきじには
私たちは神を愛すると同時に神を畏れます矛盾していますか?という問いかけがありました。
畏れるとは恐怖心ではなく深い敬意を抱くこと
この聖句を使って家の人にもダビデのようにエホバと友達になれるということを伝えれると思った
奉仕や集会を楽しんで行うことはとても大切。昔の忠実な人も奉仕を楽しんでいた。
熱意を冷ますことなく楽しんでエホバにお仕えしたい。
この聖句から,命がなければ神を賛美することはできないということ,そして命の大切さを学ぶことができる。
✏命を保つには衣食住が必要不可欠だが,世界にはそれらに困窮し命の危険に直面している仲間もいる。
それで,共にエホバをより賛美するため,直接支えたり寄付をしたりして仲間を支えることにも努めていきたい。
(塔79 2/15 21-25頁)
エホバがよいと認めて下さると心が満たされて力も湧いてくる。
今は直接エホバと会話して認めていると言われることはありませんが、兄弟姉妹や聖書を通して伝えてくださいます。
そのメッセージを見逃さないようにしたいです。もし認められていないと思うなら、祈ったり、今月のbroadcastingであったように聖書の言葉を頭と心にじっくり染み込ませたり信頼できる兄弟姉妹に話したいと思いました。
既に自然界ではエホバの統治の素晴らしさが現れている。
自然の法則は人間が自由かつ幸せに生きるために不可欠。
この法則を作ったエホバであれば道徳的な観点でも人間に統治を行うことができるし、その統治は完璧でいつまでも続くものになると信じることが出来ふ。
空にいつも現れる月のようにという表現が出てきます。
神の王国がなぜ月に例えられているのか、調べたところ、月がいつも変わらず、正確に地球の周りを回っていることを神の王国に当てはめ、変わることの無い王国であると言う意味で使われているそうです。
早くそんな王国で幸せに暮らすことができるようになって欲しいなと思いました。
この編は人の生涯が短いですが,
エホバは永遠に生きられる方なので,私たちが生きている間喜怒哀楽があって,人生大変だけど,エホバと共にいて支えてくださるので頑張れます
人間の命は、「朝に花を探しますが、夕方には日に照らされて枯れてしまう」ようなものだとあります。10章にあるように、人間の寿命は70年程の短い一生なので、エホバに導きを求めて、喜ばれる生き方をしたいと思いました。
モーセは人間の一生の短さについて述べた後、この聖句にあるようにエホバに祈っています。それで、僕たちもモーセと同じように1日1日をエホバに喜ばれる仕方で用いることができるよう祈って、資料には知恵を得るためにはエホバの律法と原則を学んで、それを当てはめることによって得られるとあったので、祈りに調和した行動をとって毎日を送ろうと思いました。
モーセは生涯中に何回もイスラエルの指導者ゆえの苦しみを味わった。
不完全さと闘いながらも結局弱さに負けてしまって約束の地に入ることは出来なかった。
ただこの聖句を見ると、エホバがそうした日々を越える喜びを与えてくれることを信じていたモーセの信仰を見ることが出来る。
エホバの証人だからこそ経験する苦難や災難、自分の不完全さから来る苦難や災難をエホバが今と将来の2回、喜びに変えてくれることを思い出すことが出来た。
エホバは,ご自分との友情を深めてほしいと思っていてくださり,保護を与えてくださる。
その方法として聖書や出版物などがある。
✏いつでもエホバからの保護を得られるように,霊的な活動を保ち続け絆を強化していきたい
(近 第7章 67-76頁)
神はあなたを羽で覆う。翼の下に,あなたは避難する。というところからです。親鳥は子供を天敵のワシやタカなどから守るために羽を広げてひなを覆い被さるようにして隠すことがありますそれをエホバがしてくださっていると考えると本当に安心することが出来ます。なのでエホバに覆い被さってくださいと祈ることが出来ます
イオンとコブラに目をつけました。
らいおんは、誰の目から見ても明らかな、公然の攻撃、コブラは、陰湿な影からの攻撃とありました。でもこのせいくではそれらを踏み潰すとあります。
これは、攻撃から守ってくれるということなので、
エホバの愛を感じられましたし、頑張れるなと思いました。
栄誉を与えるという表現について考えてみました。今の世では救った側栄誉を与えられるけど、全く逆のことが書かれているところからエホバがどれほど謙遜な方がわかる。
それでそのような神にお仕えできることに感謝して、私もいつも神を讃えられるようエホバへの愛で思いを満たしていきたいと思った
「エホバに感謝するのは良いことだ。至高者よ,あなたの名を賛美して歌うのも。」とあり、ここの脚注には「名のために音楽を奏でる」とあるので、これからも集会とかの、準備されている音楽を感謝の気持ちでを込めて歌って、エホバを賛美したいと思いました。
正しい人が,ヤシや杉などの植物に例えられている。
ナツメヤシという種類の木は多くの実を付ける事で知られている。
また、幹が強靭(とても丈夫)で
真っ直ぐ生えており、
場合によっては200年もの樹齢に達する事があるそう。
私も、伝道や仲間の援助などといった良い業という立派な実を沢山結び、またエホバから見て正直でまっすぐであるよう努力し、エホバにしっかりお仕えして行きたい。
会衆には忠実な経験を積んだ兄弟姉妹が沢山いる。
そのような兄弟姉妹は、体が衰えても参照資料付き聖書に「栄える」とあるように喜びに満たされて奉仕している。
そうした兄弟姉妹の存在に感謝したい。
大きなパニックや不安に襲われた筆者が,エホバに救われたと分かる。
✐現代でもこの詩編作者のように大きなショックを受けることもあり,その傷が癒えるまでは時間がかかるが,
エホバからの救いを祈り求め,聖書の言葉などから慰めを得られるようにしたい。
(目01 8/22 7-10頁)
偉大な神とある
リサーチガイドの一文には、
一部の人が崇拝するような何らかのみ使いやほかの何かとは全く比較にならないとある
世の影響って大きいけどエホバの力があれば防げる
どんくらいエホバが強いかというのがこの表現からわかって感動した
世界にはたくさんの偽りの神があって日本だけでも800万ほどあると言われているそうですが、真の神はエホバしかいません。たくさんの偽りの神がいる中で真の神に使えることが出来ていることをもっと誇りに思いたいと思いました。
最初の所に新しい歌を歌えとありますまたエホバに向かって歌えとあります。最近の年次総会や毎月のブロードキャスティングでも新しい賛美の歌やオリジナルソングがたくさん出ていていつも新しく新鮮な歌を提供してくださっていることにも感謝できますし、集会で歌う時も習慣のように歌うのではなくエホバに向けて歌うことができるということを心に止めて賛美のうたを歌いたいと思いました
夏の地区大会の大きなホールで最後新しいオリジナルソングをみんなで歌うのは当たり前ではないんだなと思いまし
禁令が科されている兄弟姉妹は自由に歌うこともできないと思いますその中で私たちは自由に歌うことができて感謝です
エホバの素晴らしさは他の神と比べることでも感じることが出来る。
エホバの愛や親切は他の神と比べ物にならないほどのもの。人間が磨かなくても輝いている。
他の神と違う素晴らしい点を区域の人に知らせたい。
エホバについて,「敵対者を焼き尽くす」,「命を守っている」,「助け出す」と表現されていて,エホバからの救いや保護に対する確信が伝わって来る
✏それで僕も,エホバの救いに関して求めるだけでなく,エホバの忠実な人に対する救いや保護についてよく思いめぐらし,
今週の範囲・来年の年区である96:8の通り,その輝きをより一層賛美したい。
(メ セクション11 14頁。[エホバをたたえましょう(2025年の年区)])
「悪を憎め」とあります。「悪」の中には楽しそうに見えることも含まれるかも知れませんが、エホバに固くつく人のことをエホバは守ってくれると続く部分にあるので、誘惑に直面しても、エホバと同じ見方や基準を守れるように、エホバのおきてを愛する気持ちを強めたいと思いました。
ここには光が正しい人のためにきらめいた。喜びが心の正直な人を照らした。とあります
エホバは、正しい人つまり、正しいことを行い悪を避ける人を、導いてくれるということです。
なので、喜んでエホバに従い正しいことを行いエホバに導いてもらって最善の生き方をしていきたいとおもいます。
「イスラエル国民に,揺るぎない愛を示して支えると約束したことを思い出した。…」
エホバがイスラエル国民との約束を思い出したとあります。
エホバが自分との約束を思い出してくださると思うと嬉しくなりました♡
エホバに思い出していただくために、自分もエホバにこれから一生あなたにお仕えしますという約束を度々思い出して、エホバに喜んで楽しく仕えていきたいなと思いました✨🎶
正しいことを行いたいでもなく確実に行われるようにした。と書かれてる。
今の世の中では正しいことを行うと言いながら行わないこともある。
でもエホバはいつでも正しいことを確実に行ってこられた。
ここからこれから先も正しいことを確実に行われると分かる。
また正しさをエホバが私にも求めていることもわかるので、正しい事を確実に行えるようエホバに力などを祈り求め正しい事を確実に行いエホバに喜ばれたいと思った。
「…私たちの神エホバは聖なる方。」
欄外参照の聖句(サム一2:2)では、エホバのように聖なる方はいないとありました。
聖なる方エホバに仕えることができているのが嬉しいなと感じました✨🎶
これからもエホバに仕えたいと熱意を湧き出してくれる聖句だなと思いました♡
エホバの揺るぎない愛と、真実さは永遠に続くあります。
この言葉を、信じることで大変な時代である今を乗り越えていくことができると思います。
なので、いろいろな聖書が信じられる理由の記述をよく調べ、希望とし信仰を強めエホバへの愛をさらに深めるようにしたいです。
少し曲がったこととか少し悪いことについて周りの人が大丈夫だとか良心の問題だとかいったとしても「離れている」「容認しない(知らない)」態度をとりたい
エホバは曲がった心や人を容認しない知らないとある。曲がったものを真っ直ぐな物に直すことは簡単ではない。鉄…曲がっているものを真っ直ぐにすることは難しい、歯も矯正でガタガタを綺麗にするのには時間がかかるので曲がらないために真っ直ぐな物となり続けたい
「目が傲慢で心が高慢な人に我慢できない。」とあります。傲慢は、「思い上がって横柄(おうへい)」とあり、高慢は、「自分が優れていると思って他をあなどること」とあります。僕は時々高慢な時があるので、高慢の気持ちがなくなるようにフィリピ2:3にある「自分より他の人の方が上」と言う言葉を意識して、努力していきたいです。
人をひそかに中傷するものとある
ひそかにというところで会衆内でも世でもうわさって広がりやすい
面と向かってその人に言えないことはその人のいないところで言うべきではないとある
そういうはなしをされたとき同調するのではなくて耳を貸さないように気を付けたい
エホバは罪を犯しやすい傾向を持っている私たちにも清さを求めておられ、罪を犯したとしても完全な許しを行って下さる。
罪を犯さないよう力を与えて下さることも、もし罪を犯したとしても許して下さることにも感謝だと改めて思いました
「虐げられている人が絶望して,エホバに不安を打ち明ける時の祈り」です。詩篇作者は、絶望している時の心の様子について、草のようにしおれ、干からびて、骨と皮だけになると表現しています。詩編作者のように、元気のなくて心が沈む時には心の中の全部を注ぎ出したいと思いました。
102編の筆者は絶望し打ちのめされているが,この聖句ではエホバに目を向けて,思考を積極的な方向に切り替えた。
✏私達も日々の生活の中で気落ちすることがあるかもしれないが,そうなった時に,エホバとの関係に目を向けて見方を切り替えるよう意識したい。
(塔14 3/15 12-16頁 21節)
なたに仕える人の子供たちは安全に住み,彼らの子孫はあなたの前で平和に暮らします」。
将来,楽園でエホバに仕える人たちは犯罪や災害など苦しい時はなくなり,平和な時を暮らせますので,
その時までにはエホバのことを忙しく働きたいと思いました
日の出は日の入りから遠く離れている。神は私たちから遠くに離してくださった。」とあります。僕は誰かから嫌なことをされた時に許せなくなってしまうことがあります。でも、エホバは、僕たちが罪を犯した時に許してくれるので、マタイ18:22に書いてある77回以上つまり何回でも許せるように努力していきたいです。
「神は私たちの造りをよく知っている。私たちが土でできているにすぎないことを覚えている。」
・自分の限界を知ってもらえてると思うと安心する
✏️例えば土の性質も色々な種類がある
赤い、黒い、細かい、粗い、柔らかい、硬い、等
それぞれの土が必要な場所で役目を果たしてる
📕偉大な陶芸家であるエホバが、個性ある土の私たちを活躍できる形に造ってくれると思うと楽しみになる
🤣エホバ、お任せの形でよろしくお願いいたします!
ダビデはエホバの創造物や創造の力について思い巡らすこでエホバへの賛美や感謝で溢れていっている様子がわかります。僕も身の回りのエホバの創造物をよく観察してエホバへの賛美や感謝の気持ちを高めたいと思いました。
色んな動物の家をエホバが決めていることがわかる。
王国をいちばん大切なことにすることによって必要なものが備えられることがこの言葉からわかる。
本来エホバは色々な動物がストレスなく共存できるように創造されたんだと思いました。
人間が愚かな行動をして様々な動物がストレスを抱えて生きていますが楽園になりエホバが始めに設計された時のようになることを楽しみにしたいと思いました
人間は海のについて1割ほどしかわかっていませんが、その1割でも、たくさんの美しい魚や海の絶景などの写真や実物を見て自然の脅威や美しさを感じることができます。ので自然から私たちを楽しませてくれるエホバの愛を強く感じれるので日頃から感謝したいと思います。
「私の考えがエホバに喜ばれますように」と書いたダビデに倣い,いつも自分の考えがどこに向いているか吟味し,心の中の思いや傾向をエホバがご覧になってそれを良いと見ていただけるように,整え続けていきたい
2024/11/05
マンスリーでも扱われていましたが、エホバの偉業、宇宙の壮大さやエネルギーなどについて思い巡らすなら、無限の力を持たれるエホバについて知れることや信頼して力を求められることに感謝できるし、とても心強いとおもったので、引き続き創造物や聖書を通してエホバの力強さについて学び信頼を強化したい。
2024/11/05
エホバの偉業を思い起こし力を求めるよう書かれている。
この点で最高の手本だったイエスは,望むならその力によって権力も地位も富も得ることができたが,教え,戒め,矯正し,指導するために力を用いた。
✏エホバに頼るとき,エホバの偉業や素晴らしさを思い巡らしながら,エホバに喜んでもらえる形で力や保護をいただけるようにしていきたい💡
(塔00 3/1 14-18頁)
2024/11/07
好意と書かれている部分を直訳すると顔と訳せるようです。
なんで顔が好意に訳せるのかどういう意味なのかリサーチガイドを見たら、顔を求めるとは支配者に謁見して助けを求めるなどの意味があるそうです。
このふたつを比べると好意で助けて欲しい!という意味の方が支配者に謁見するというよりもフランクな印象を受けるなと納得しました。
このようにわかりやすい訳し方にしてくれていることに感謝し、エホバにいつもフランクに助けを求めたいと思います!
2024/11/07
神は覚えている。
ご自分の契約を永遠に,
ご自分の約束を千代に至るまで。
祈った時にエホバの記憶は限りなくあるので,
私が前の祈ったことを覚えてくれて,それを実現にしてくださいました
なので,これからもエホバを信頼してその祈りが聞かれるよう敏感でいたいです
2024/11/06
エジプト人がイスラエル人を憎んだのはあくまでエホバの目的の範囲内の事だった。
エホバの証人に対して迫害の矛先が向けられる時でも、それはエホバの長期的な構想の中で起きていることだと覚えておきたい。
2024/11/14
イスラエル人はエホバがしてくれたことをすぐ忘れて、何度も反逆してきたことが書かれています。
しかしエホバはもういいやと見捨てることはなく、何度も愛を示し助けてくれています。
そんなエホバの愛の大きさに感謝できますし、また僕は、はエホバがしてくれたことに小さなことでも気づきしっかり感謝し忘れないようにすることで愛を感じて行きたいと思いました。
2024/11/14
ここで神は善い方とある
善いは善良さで
憐れみや愛ある親切や真実を包含する反面,どんな点においても悪を容認したり悪に協力したりしない特質
悪を行わない、愛を示すどちらか1つ示せるだけではエホバに見習うことはできない
全てに見習えるようになりたい
2024/11/12
今エホバから与えられている価値あるものを大切にしたい。
2024/11/11
彼らが感情を刺激したので, モーセは軽率な発言をした。
エホバに長年仕え続け、エホバから「地上の全ての人の中で際立って温厚な人」と評価されていたモーセでしたが、結果を考えずに感情的になって話してしまいました。反抗的なイスラエル人との長い度で疲れもストレスが溜まっていたのかもしれません。
自分の体の疲れやストレスなどをよく把握しつつ、心と考えをコントロールして話すようにしようと思います。
2024/11/12
「彼らの偶像を崇拝し続け, それは自分たちにとってわなとなった。」とあります。偶像は、エホバ以外の神だけではなく、自分が熱中していることも偶像に入ります。なので熱中して霊的な物を後回しにならないように意識する事が大切な事が分かりました。
2024/11/11
イスラエルは約束の地で,結果的にその地の住民から影響を受けて偶像崇拝などの罪に陥っていた。
この記述から,悪い交わりに注意していないと悲惨な結果を被ると分かる。
✏聖書の基準に従い忠実な人を親しい友とし,常に悪い交わりに注意している必要があると学べる。
(塔96 9/1 11頁10節。塔15 8/15 25-26頁8節)
2024/11/12
エホバは何度も裏切られたのにイスラエル人が助けを求めてくる度に「哀れに思い」愛を示し続けました。
エホバの寛大さと愛にみならいたいです。なんでそんなことができるのか…エホバすごすぎる。
2024/11/20
エジプトでエホバがエジプト人とイスラエル人を見分けたことが参照聖句になっている。
人の感情とか背景とか人間からはわからないところまでエホバは理解している事を覚えておきたい。
2024/11/20
・「揺らぎません」という表現からエホバへの信仰の強度が伝わってくる
💭耐震設計の建物は様々な角度から骨組みがびっしり組まれている
✏️エホバの愛について様々な角度からじっくり考えたい
⬇
📓自分の心の中にエホバを信頼する為の骨組みの数を増やし、揺れない心を育てていきたい
2024/11/28
この祈りをしているダビデはかなりすごいことを言っています。
例えば8~15とか どれほど自分が苦しめられているのかわかるような言葉がつらつらとか書かれています。
この聖句を読んで、これは本当にダビデの心からの祈りでこれくらい正直に思っていること全てをエホバに話してもいいんだなとわかったので実践していきたいです。
2024/11/27
「……あなたの揺るぎない愛は良いものです。」
欄外参照も見てみると、何回も揺るぎない愛が良いとか貴いと表現されています
ダビデが、エホバの愛を確信していてとても貴重な愛と思っていたことが伝わりました⭐️
私もそう思えるように、エホバが示してくれた愛を何度も思い起こしていきたいなと思いました🌸
2024/11/28
よくバプテスマの話で聞く聖句なんですけど,
長年の夢が叶ってLDCに申し込んで12/14の消防点検に初めてのLDCに行けてとても嬉しい!
これからも頑張っていこうという気持ちが高まる
2024/11/28
僕の会衆には若い兄弟姉妹が少ないけど、SPCで知り合った兄弟姉妹や、このLINEグループのコミュニティを通して、同年代の仲間とこうして励まし合えることに感謝だと思いました。離れているけど地元の会衆で自分を差し出して奉仕にもっと取り組もうと思わせてくれる聖句でした✨
2024/11/28
「あなたの民は喜んで自分を差し出す。」とあります。
今の時代、エホバはご自分の民に多くの奉仕する機会を与えておられます。
例えば,励ましを必要としている会衆内の兄弟姉妹を助けることができます。
必要の大きい地域に行くこともできます。
さらにエホバは私たちに開拓者となってご自分のお言葉を世界各地に宣べ伝える機会も与えてくださいました。
私もバプテスマを受け、自分のすべてを神に捧げることをエホバと約束しました。
ですからこれからもエホバに仕え,エホバとの約束を果たせるよう最善を尽くしたいと思います。
2024/11/26
偉業と性質はどう関係しているか考えました。素晴らしい偉業が行われても思いやりがなければ感動する事はあまりありません
ですがエホバの偉業はあたたかい思いやりが伴っているので心が動かされ記憶に残ります。
エホバがいつも素晴らしい性質を示しながら偉業を行ってくださることに感謝できますし、偉業の裏にはどんなエホバの性質やお気持ちが表れているかよく考えたいと思いました。
2024/11/30
エホバを畏れる人は気前よく貸すことが書いてある。
イエスはルカ6:34,35で見返りを求めないというのは返済を求めず貸すことだと言った。
仲間を助けるときにこのことを忘れないようにしたい。
2024/11/26
112編では神の祝福を受けている正しい人が描写されているが,この聖句から,広く分配し貧しい人に分け与えていることも分かる。
✏私たちも,エホバに喜んでいただくために分け与えることが大切だが,その点で聖書の知識と理解という最も価値ある宝を,伝道において「広く分配」し続けていきたい。
(宣 90/5 1頁)
2024/12/06
神の栄光は天よりも上にあるとあります。この点がリサーチガイドでエホバは非常に高い方なので,『天をご覧になる』にもご自分を低くする必要があると説明されていました。人間では考えられないような高い場所におられるエホバが人間の気持ちに寄り添ってくれることを考えると奉仕をして神がいることひとりひとりに寄り添って希望も与えてくださっていることをほんとに知ってほしいと思う
2024/12/03
ここからエホバが,ただ助けをくださるだけでなく,身をかがめて近づいてくださり,寄り添ってくれることが分かる。
✏それで私もこのエホバの愛と謙遜さに倣って,誰かを助けたり,友情を築く上で相手を信頼して敬っていけるよう努力していきたい。
(塔研20 8月号 研究記事32)
2024/12/05
昔のイスラエルで子供が出来ない女性というのは不名誉なことだったにもかかわらず、エホバはそうした人が幸せに生活できるように支えた。
社会の底辺にいる人や、人生に絶望している人など、サタンの世から突き放されているような人に対してエホバと同じ見方や接し方をするようにしたい。
2024/12/05
エホバは私たちを盾のように守ってくださる。
ローマ人が使っていた盾は肩から膝まで覆えるほどの大きさがあった。エホバもそのようにして守ってくださる。
だけど信仰という盾は大きくなったり小さくなったりする。いつも注意して大きい盾を身につけていられるよう自分を霊的に養い続けたいと思った
2024/12/04
「これがエホバの門。正しい人が通って中に入る」
・エホバの門→英語はGateという語が使われる
✏️切符を持っている人だけが駅の改札を通過できる様に、私達は「正しい人でいる」事によってエホバの門の中に入ってエホバを賛美したい
📔正しい人になるために、どんな考え方が必要なのかいつも考えて進歩していきたい